知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない

第20話(後編) 「茶園の由来」碑

 板倉藩(福嶋藩)による茶の栽培結果が思わしくなかったのは、洪積台地の土壌・東経137度線の植物相・栽培技術によるものかは不明ですが、銘茶の生産地になれなかったのは残念。
 池鯉鮒のお茶に関する興味深い本を2冊ご紹介しましょう。1冊目は、18世紀後半から19世紀前半までの東海道を描いた『東街便覧図略』(高力種信著)。牛田では「大豆炒茶屋」が軒を連ねて、炒った黒豆とハゼを添えて煎茶などを提供している様子が描かれています。2冊目は『方巌売茶と「独健帳」』(永田友市著)。売茶翁は煎茶道を広めるとともに、無量寿寺の復興に大きな功績を残した人物であることが述べられています。
 さあ机上に2冊を並べ、抹茶をいただきながら1冊目を、煎茶をいただきながら2冊目に目を通されてはいかがでしょう? わがまち知立が、お茶を味わうのに最適なまちであることに気付かされるはず。

【牛田の「大豆炒茶屋」が表紙の『東街便覧図略』】

(坂之上九門)

(知立くらしのニュース 2014.7.19 掲載)

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