知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない

第28話(前編) 三河鉄道の父・神谷伝兵衛

 100年前の10月28日。三河知立駅に、蒸気機関車を背にした恰幅(かっぷく)のよい紳士が立っていました。ひげを蓄えた立派な人物こそが、三河鉄道取締役・初代神谷伝兵衛。
 1912(明治45)年5月30日に三河鉄道取締役、16(大正5)年4月5日には2代目神谷伝兵衛が三河鉄道社長に就任したのですから、「三河鉄道の父」と呼んでも過言ではありません。
 明治用水西井筋に尽力した人たちが「水の道」を作ったとするなら、神谷伝兵衛は「鉄の道」づくりに大きな功績を上げた人物。三河鉄道海線(大浜港―知立)に続いて、三河鉄道は山線(知立―最終的には西中金)を敷設。さらには三河湾に沿って走る鉄道(後の名鉄蒲郡線)まで完成させたのですから、この地方の大功労者なのです。
 「神谷伝兵衛」と聞いてもなじみのない方が多いと思いますが、実は大変な実業家。生まれは、現在の西尾市一色町松木島。その人生は波瀾(はらん)万丈!

(坂之上九門)

【三河鉄道を走るロバート・スチーブンソン社製120形蒸気機関車(筆者画)】

(知立くらしのニュース 2015.11.21掲載)

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