知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない

第15話(前編) 明治用水西井筋あればこそ

 洪積台地とは、約200万年前から1万年前までという長い時間をかけて、ゆっくりと形成された地層の名称です。
 わがまち知立はこの洪積台地上にあるのですが、西三河地方全体を支えている大きな台地でもあります。洪積台地の特徴はゆるやかな傾斜と水はけの良さ。それだけに水田耕作にはまことに不向きなのです。
 明治になって、この土地に移り住んだ福嶋藩大参事(だいさんじ)内藤魯一たちの辛苦(しんく)も水はけの良さ。収穫可能な植物たちも、ため池つるべ井戸の水では十分とは言えず苦労の連続でした。〝水さえあれば〟は、洪積台地上に住む人たちの切なる願いだったことは容易に想像がつきます。
 そんなとき、魯一に朗報が舞い込みます。1874(明治7)年、矢作川から取水した水を碧海の大地に通す計画が愛知県から認可されたのです。さあ、いよいよ用水路の開削、時に79(同12)年1月!

(坂之上九門)

【明治用水の水を利用したせせらぎが流れる遊歩道(来迎寺町)】

(知立くらしのニュース 2013.08.17 掲載)

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