「神社は地域の伝統文化の拠点」

知立神社の先代宮司神山さん 36年間を語る

 36年間、知立神社の宮司を務めた神山嚴夫さん(87)が2月末で退任しました。神山さんに神社への思いや、エピソードなどを聞きました。3月から神山忠憲さんが宮司に就任しました。

【2月末で宮司を退任した神山さん】

 ―知立神社への思い
 西町で生まれ育ち、昭和32年に駒場町に移りました。子どもの頃、宮司だった父に弁当を届けに毎日神社に来ていたので生活の場でした。宮司になってからも、職場というより生活の一部という感覚でした。
 ―知立神社に奉職したのはいつからですか
 昭和54年に21年間勤めた高校教師を辞め、知立神社へ。先代宮司の父が亡くなり、60年に宮司に就きました。平成4年から23年間は岡崎医療刑務所で入所者の教化に務める教誨師もしていて法務大臣表彰を受けました。
 ―在職中に守っていたことは
 父からの教えで「神主はほうきを持て、筆を持て」。最近は足が弱ってきてあまりできませんでしたが、ほうきで境内を掃除するのが日課でした。
 ―地域との関わりは
 祖父からは「神社は地域の伝統文化の拠点でなければならない」と教わりました。祭りやしめ縄作り、その他にも数多くの行事で地域の方に関わっていただき感謝しています。
 ―知立神社を誇らしく思うところは
 三河では砥鹿神社(豊川市)と共に高い神階を受けた古社。中でも境内の「多宝塔」です。京都大の教授が「よく残せましたね」と、先人の苦労を感慨深く語られていたのが印象的でした。ユネスコ文化遺産になった知立の山車と文楽・からくり、国の登録有形文化財となった6つの建造物、数多くの工芸品なども。知立の明神様が各地に祭られているのも誇らしいですね。
 ―印象に残るエピソードは
 ある夏の日、境内を掃いていると、バイクに乗った青年たちが突然来て、仲間の結婚式のまね事をしてくれというので、幸せになるよう神前で祝詞を奏上し、一言述べました。1年半ほどたち、赤ちゃんを抱いた若い夫婦が初宮参りに来てくれました。あの夏の日、涼しい冷房の部屋にいたら彼らとの出会いはなかったはず。うれしかった。お幸せに。
 ―参拝者に伝えたいこと
 文化を残すためにも、市民の皆さまに関心を持っていただき、神社の力になってもらいたい。

プロフィル かみやま・いづお 1933(昭和8)年12月生まれ、西町出身、豊田市駒場町在住。85年に宮司に就任。2021(令和3)年2月宮司辞職。現在は駒場町の神明社と同市中田町八幡社の宮司。

知立くらしのニュース2021.04.23掲載

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