知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない

第5話(前編) 赤穂浪士こぼれ話 

 ♪時に元禄15年12月14日江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿(やまが)流儀(りゅうぎ)の仁太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ、思わずはっと立ち上がり♪ とくれば、ご存じ三波春夫の長編歌謡浪曲『俵星玄蕃(たわらほしげんば)』。平成になってもしばらくは、年末にはこの歌が流れ、テレビや映画では、赤穂浪士関連のドラマや映画が年末定番として上演されたものです(西暦に直せば1703年1月30日のこと、年末ではないのですが)。
 知立市牛田町にある泉蔵寺(泉蔵教会)を訪ねると、「吉田忠左エ門夫妻之墓所」という石碑。吉田忠左衛門といえば、あの赤穂四十七士の一人。吉良邸討ち入りの際には北門の大将補佐役を務め、討ち入り後は大石の命を受けて、幕府大目付仙石伯耆(せんごくほうきの)(かみ)邸へ富森助右衛門を伴い自訴した人物。内蔵助を支えて大業を成し遂げたことで有名ですが、なぜ知立に吉田夫妻の墓所が? その発端は元禄14年にあったのです。

(坂之上九門)

【吉田忠左エ門夫妻之墓所内にある顕彰碑】

(知立くらしのニュース 2011.12.17 掲載)

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