知立の歴史ぶらり探訪・翁のいざない

第14話(前編) 池鯉鮒宿の出入り口・土居

 木戸と木戸との間を宿場というのですが、出入り口にあたる木戸のことを見附・土居(どい)(ぼう)(ばな)とも呼んでいます。知立市歴史民俗資料館のジオラマを見ると、池鯉鮒宿の場合は「土居」。江戸へ向かう出入り口を江戸方見附(みつけ)・東木戸・()戸口門(どぐちもん)・東の建場、また上方(かみかた)へ向かう出入り口を上方見附・西木戸・京口門・西の建場などと言う呼び方もあったようです。
 廣重筆の「東海道五十三次(()永堂版(えいどうばん))」によれば、土居が描かれているのは大磯・赤坂・藤川の3宿。また廣重・英泉筆の「木曾街道六十九次(望月義也コレクション)」には、垂井・馬場の2宿に描かれています。いずれにしても土居は宿場の玄関口。池鯉鮒宿の、東西の玄関口がどのような構造だったのか、知りたくなりますね。
 本陣を外敵から守る防御的な立場からすれば、木戸・番屋・土居の3層構造が好ましいことになります。しかし、池鯉鮒が土居と言う名称だったとすると…?

(坂之上九門)

【東の玄関口「土居」があった付近(山町)】

(知立くらしのニュース 2013.06.15 掲載)

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